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スプリング、ハズ、

『3月のライオン』7巻読了。

この作品は、読むたびに、まぶしすぎて、かなしみとか虚無でいっぱいになる。

ひなちゃんの意思はあまりに力強く、
儚いながらも神聖な光であって、その真っ白な想いが、
わたしには美しすぎて、こわい。
ただ、こわい。

高城さんのことを、誰もが憎いと思うだろうけど、許せないだろうけど、
じゃあ、
「あなたは高城さんのようなことをしない、って、誓える?」
どんなことがあっても、高城さんみたいな卑劣なこと、しないって、言い切れる?

わたしにはそれが出来なくて、そんな自分の幼いこころに怯える。

ひなちゃんのような子に、なりたくて、羨ましくて、
でも、高城さんがするようなこと、してしまうかもしれなくて、
だからとても、つらい。
この作品は、正しいことも、醜いことも、
あまりに真っ当なことをありのままに描ききっていて、
美しすぎて、こわい。

みんな、この作品で、泣くんだってね。
どこで泣くの?共感なの?同調なの?救い?救いなの?
わたしには拾えてないから、誰か教えて?

そんな思いながら、でも、ちゃんと向き合ってみたくて、
刊行されている全巻揃えてみたけれど、
まだまだまだ、対峙せねばならんようです。

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ノーマル

なにか記したいと思うのに、いざ書こうと思ったら、
なにをどういうふうに文章にすればいいかわからない。

同じ立場になってやっと解ることがある。
あのとき、こんな気持ちだったんだろうか。
…後悔ばかりだ。

そしてまた、きっと今だって知らないうちに、
誰かを傷つけているはずで、
そりゃ、人との繋がりを続けられないわけだ、なんて、嗤う。


みんなどうやってるんだろう。
ひとと、どうやって付き合ってるんだろう。
難しく考えることじゃない、
って言う人もいるだろうけど、
なにも考えないで生きてきた結果が、これなんだ。

親や、環境を、何万回恨んでも、
それだけじゃどうにもならないことを知ってる。体感している。
最終的に自分から動かなきゃいけないことも、解ってる。
だけど、だけどだけどだけど。


もがいて、ちゃんと光が見えればいいなぁって、
それを、信じるだけ。

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シュガーズ フェードアウト

今年の目標は、

人付き合いに手を抜かない

です
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やさしさはまばたきのように


またずいぶんとほったらかしてしまってる・・・。

このブログを立ち上げた時よりは元気だろうし、楽しいこともたくさんあるから、
少しずつ眼をあけられてるんだろうと思う。

更新のない間、引っ越しをしたり(あ、でも一個前の記事は引っ越し後か)
書類審査でサックリ落とされたり、東京へ遠征しまくったり、
占いに頼らなくなったり、24歳になったり、
死ぬまで見ていたいと思えるものに出会えたり、新しい巡り合わせがあったり、
また恋がしたいなぁと思えるようになっていたり。
あぁ、ピックアップしてったら、けっこうイベント多いじゃないか。

自分と自分で向き合う時間が圧倒的に増えたのも大きい。
これって高校生とかでやっとかなきゃいけなかったんじゃないかと反省する毎日。
お風呂場でうなりっぱなし。

20歳になるまでに、早く大人になりたいと願い過ぎて、
10代でしか出来ないこと、フッ飛ばしてきちゃったなぁ。
ここ1年はそれを痛感する。
しかも中途半端に「後悔しない」って旗立てたもんだから、
なんだかもう、全部が適当にこなすだけになってしまってる。
20代前半で気付けただけでもまだマシ?

マイノリティの道を自分で選んどいて、マジョリティに対しての反発がとても強い。
それは活かしていけることだろうか。

収拾つかなくなりそうだから今日はこのへんで。

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続、食べること


食べることに興味がない、理由。
人生損してるって言われ続ける、日々。
わたしにとってそれは、「普通のこと」ですねん。

だからって別に、常に悲観してるわけでもなく。
誰かとごはん食べに行くのは好きだし、
好きなお店や行きたいお店も、作りたい料理も、あるわけだ。

では、「そこ」へ向かう気持ちはどこから湧いてるのか。
こちらもついでに考えました。
これ、けっこう簡単だった。

「誰かと食べるごはんはおいしい」から。
「食事とともに、そのお店の空間を楽しみたい」から。
「料理を作るのが楽しい」から。

やっぱり食事自体がメインではなかった。
けど、その先にあるものを大事にしたいんだな、ってことがわかった。

人と話しながらする食事の、不思議においしく感じること。
好きな空間の中で料理を食べるときの、満たされる気持ち。
自分が作った料理を誰かに食べてもらえて、しかも、おいしいって言ってくれる、幸福感。
そんな、「食事」に付随することの方が、自分には大切なんだなぁ。

ということで、まとめ。

食べ物自体への興味はほどほどだけど、食事にまつわるいろいろがかなり好き。

一人暮らしの身には少々やっかいな問題ですが、
こういうこと、ちゃんと考えられてよかった。

食べることは生きること。
もっと、楽しみながら、生きられるように、
まい進したい所存でゴザイマス。

おわり。

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食べること

「あれおいしそう」

「これ食べたい」

日常、わりとよく聞く言葉だと思う。
当然、わたしだって思うのです。
けど。

どうやらわたし、他の人より食に興味がないらしい。

おいしいものはおいしいと思うし、
好きな食べ物だってある。
でも。
毎日同じメニューだったとして、おそらく問題なく生活するし、
食事を重要視することは、ほぼない。

あんまり深く考えたことなかったのだけど、
ふと気付くと、自分の周りに『食べること』を大切にしてる人が多くて、
ハッとしたのだ。

なので、いい機会だし、考えた。
「なぜ『食べること』に興味がないのか」。

結論は、「『お肉が苦手』は『食事』を遠ざける」んではないかと。

はい、ワタクシ、お肉苦手。
食べられるものも増えてきたけど、
相変わらず高級なステーキにはまったく魅力を感じません。
自分からお肉を求めるときは、「おいしくて食べたい」んではなく、
「身体に必要だから食べたい」って理由。
本能レベルの欲求です。1年に1,2度あるかないかの話です。

で。
世の中の傾向的に、
「お肉はおいしくてすばらしいなんであんたわかんないのかわいそう」
「お肉食べられないのそんな人がこの世にいるの」
「野菜や魚は食べられなくても死なないけどお肉食べなきゃ死ぬよ」
ってさ、お肉苦手な人のこと、そういう目で見るでしょ。
見るんですよ、みんな。
憐みの目をネ、向けるんデス。

お肉食べなくても幸せ感じてこの世に生きてますし別に死にません。

小さい時からそんな風に言われ(見られ)続けるとさぁ、
いろいろ、メンドクサイんさ。
言い訳も、そのあとに聞くお決まりの返事も。
なんかもう、ぜんぶめんどくさいの!

そういうマイノリティの中で生きてきて、
「お肉食べられない=食事を楽しめてない」って頭ごなしに言われてるみたいで、
きっと知らないうちに、諦めたんだな。様々に悲しいから。
「食事」自体が、苦手になってしまったのかもしれない。

これらが、結論まで至った、経緯でした。

「食べたくなく」て食べないんじゃない。
「食べられない」から食べないんだよ。
みんなそれぞれある「どうしても食べられないもの」が、
わたしの場合、お肉だったんだよ。

『損してるなぁ』

人生の中で、どんだけ聞いたかこのセリフ。
その言葉がどういう棘と毒を持ってるか。
考えたこと、あるかい?
少しひねくれた、いじけた言い方だけど、さっ。ふんっ。

続く。

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さいごのばしょ


将来の夢。
海辺の家で、猫と一緒に暮らすの。

外も内も真っ白いおうち。
あんまり広くなくていい。でも一軒家がいい。
夜になるとかすかに、波音が聞こえてくるぐらいの、
少し歩く距離に海があって、天気がいい日も悪い日も、海まで散歩するんだ。
(ご時世的に、海のそばは危ないってことになってるけど、それでもいい)

猫は、1匹でよし。
どこかからひょこっとやってきた子。
「飼いたい」というのではなくて、「暮らしたい」。
ともに息をするような、それが自然な、生活がしたい。
かまうとめんどくさそうなのに、たまに甘えてこられると最高。
膝の上でお話しするのも、素敵ね。
いいなぁ。あ、三毛っぽい茶色い子が理想だなぁ。

静かに、暮らしたいなぁ。

それがね、漠然と、でも、絶対的に叶う気がしてる。
なんでだろうか、現実的にとか、経済的にとか、
逆算やら計画やら、一切したことないのに、
ずーっと、未来のビジョンとして持ってる。

手段は模索中だけど、目的は確実に「そこ」。
それを目指して、ふらふら歩いてるのだ、わたしの人生。

将来、わたしはこの想像の景色の中に、必ず居る。
息づいている。
確信しているんだよ。

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レゾンデートル


誰かとの関係を苦悩しながら考える、ということは、
自分を見つめ直すことだなーって。

わたし、変わったかな。
5年前と、1年前と、半年前と、今の自分は、
なにか違うだろうか。
変わらない部分はどんなところだろうか。

「助けて」
って、叫ぶだけじゃ、いつまでたっても辛いままだ、
助けてほしい時こそ、そんな自分をどこまで救えるか、
突き詰めるタイミングなんだ、
ということは、ここ最近わかってきた。

それなら、ひとはいつだって、ひとりで生きられる。
付いた傷は自身で治せるんだもの。
少しずつ、かさぶたが自然と剥がれるまで、ひっそりとこころに秘めていれば、
いつかかならず、癒える日が来る。

でも、それでも治らない傷があって、
おそらく誰ひとり欠くことなく持っていて、
そんなお互いを癒し合える存在に出逢えたら、
苦節があろうと、それでも一緒にいることに意味を見い出せたら。

わたしの考える『レゾンデートル』とは、そういうことだ。

繋ぐ関係はいろいろある気がする。
一般的に恋愛や恋人に比重が傾ぐけれど、
友達同士でも、家族間でも、きっとそういうものは生まれる。
ひとつだけじゃなく、たくさん生まれていく。

そういう人とは滅多に巡り合えないから、
だから、大切にしたいんだね。
いわゆる、『縁』、というものか。

ともすれば利己的になりかねないけれど、
そうではなく、まったく逆だ。
自己犠牲を払ってでも、その人を気遣い、想いやりたいと、
本心や感性が汲み取る瞬間こそ、逃してはいけないな。

見つめ直す話からだいぶそれた気がするけど・・・そうでもないか。
こうやって言葉にして、見つめ直しているのだ、今なお。

とりあえず、5年前では、1年前では、半年前では、
こんなこと考えもしなかった。
変わったんだな。
けど、この文章へ辿り着くまでの理念は、変わってないんだろうな。
不思議な話だ。まったく。

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そのあいず


むねがざわざわする。

これは、思うままに行け、って合図だ。
産まれたての小鹿が立ち上がるときみたいな、そういうこころだ。

春だ。

T - -
kokoro


欲しいものがあった。
ずっと、欲しかったもの。憧れていたもの。

「あぁ君ってそういう人なの」と、蔑まれたり馬鹿にされる気がして、
嫌われる気がして、とてもこわくて、

口に出せなかったけど。


悔しいなぁ、と思う。
言えばよかったんだよなぁ。
ちゃんと、声に出して、言葉にすればよかったんだ。きっと。
勝手に推し量って、閉口して成り立つものなんて、
所詮、カタチだけなのだし。
どう反応するかを楽しむぐらいの心持ちで、いられてたら。

いまになってわかるよ。
たったそれだけでなにかが変わるような人じゃないこと。
「意外だな」って思っても、しっかり受け止めてくれたんだろう。

裏返せば、
その人をこそ「そういう人」だと決め付けたんだ。

見えてなかったんだ。自分のことしか頭になかった。
くだらない。しょうもないな。
そんな気持ちでいたことの方が、「所詮その程度」って蔑まれて然るべき。

もっとまわりを見渡せる、
狭い世界でも、ただその一人のことを広く深く見渡せる、
こころを持ちたい。


欲しいものがあったんだよ。
口にしなかったけれど。
奇跡が起きない限り、これからも伝えられないけれど。

たったそれだけ、思い出したよ。

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